ヒストリー
目黒を駆けまわった少年時代
甲子園を目指さない!?高校球児
 旅行に夢中だった大学時代

新人サラリーマン奮戦す
転職の動機、環境は人類の貴重な財産
政治の世界へ
私のライフワーク「福祉」
やむにやまれぬ思いから
皆さん 考えてみてください
「人を創る社会へ」声を聞くことから
「人を創る社会へ」傍観者とならず


目黒を駆けまわった少年時代
写真1 私は、昭和24年に神奈川県の平塚市で生まれました。いわゆる団塊の世代で、決して裕福とはいえない家庭で育ちました。サラリーマンの父の都合で幼少より上野、国分寺、国立を経て10歳のときに目黒の地に引越し区立油面 小学校に転校、目黒4丁目に住んでいました。
 子どもの頃は、野球が大好きな何処にでもいるような男の子だったと思います。その頃の目黒はまだまだ原っぱが多く、よく友達と野球をしたことを覚えています。
 野球といっても物のない時代でしたから、ボールは布で作った粗末なもの、我が家の家計も苦しかったためグローブも買えませんでした。
 その頃、お菓子の野球カードを集めるともらえるキャッチャーミットを手に入れ、それが私の宝物でした。
 そういえば、油面商店街にあった駄菓子屋さんには、よく足を運びました。その頃の友人とは今でも良い友達です。
 油面小学校を卒業後、区立第四中学校に進学。中学時代に通った油面商店街の木村パン屋さんには、大変お世話になりました。


甲子園を目指さない!?高校球児
旅行に夢中だった大学時代

 目黒区立第四中学校を卒業後、都立大学付属高校に進学しました。高校時代は、大好きだった野球を本格的に始めようと思い、硬式野球部に所属しました。
 みんな一生懸命練習はしましたが、正直言ってそれほど強いチームではなく、どちらかというとみんな野球を楽しんでいるといった感じでした。
 当然、高校球児たるもの甲子園を目指すことが最大の目標なのでしょうが、あまりそんな意識も持たずに本当に楽しい時代でしたね。
 私のポジションは2番ライトで、一応リリーフピッチャーでもありました。但し一度も登板することはありませんでしたけどね(笑)。
 高校卒業後一浪を経て慶應義塾大学法学部政治学科に進学しました。この頃、将来自分が議員になることなど夢にも思っていませんでしたから、政治学科というのもたまたまで、勉強もしましたがそんなことより大好きな旅行に夢中でした。 
 昔から自然、特に海が大好きで式根島には何度も足を運びました。いいところですよー。ですからこの前の三宅島を中心とした災害には心を痛めましたし、被災者の方の少しでも役に立てればと思い、緊急募金活動も積極的に行いました。
 被災者の皆様の支援に全力で取り組むとともに、一日も早く故郷へと帰れる日を心よりお祈り申し上げます。
 この頃の夢は、まだ漠然としてはいましたが、とにかく世界を舞台に活躍できる人間になりたいと思っていました。外交官にも憧れましたがすこし手が届かないかなって・・・(笑)  
 結局、大学卒業後に中堅商社に就職。この時期に、社会人としての基礎をしっかりと教えていただいたと思います。3年後には、外資系企業日本テトラパックに転職し、夢を少しずつではありますが、実現することができました。

新人サラリーマン奮戦す
 大学を卒業して3年、勤めていた中堅の商社から日本テトラパックに転職しました。20代中盤での転職、まさに心機一転といった決意に漲っていました。
 新しい会社は紙パックを作る外資系の会社でヨーロッパのシェアー6、7割を占める大手です。本社はスウェーデン。社内ではほとんど英語。それなりに英語に自信があったものの大変苦労しました。特にプレゼンテーションは大変でしたね。
 仕事の関係で、アメリカ、ヨーロッパには十数回は行きました。ヨーロッパ諸国にはほとんど行きました。北欧に行った時に特に印象的だったのが、身体障害者へのケア、福祉の充実度です。滞在中はなれない自炊もしていたんです。観光ではない現地の日常の生活の中で、多くのことが見えてきましたね。スーパーに買い物に行った時など実感したのですが、身障者が日本とは比較にならないほど自然に生活をしていましたし、周囲も自然な形で受け容れていました。健常者と身体障害者の間に壁、心のバリアが全くないことを強く感じました。
 この頃は全く議員になろうとは考えていませんでしたが、今思えばこうした経験が議員として福祉を推進するにあたって大きく役立っています。

転職の動機、環境は人類の貴重な財産
 私がテトラパック社に入社する上で、魅力を感じたのが会社の哲学でした。当時は飲み物の容器はビンやプラスチックが主流でしたが、石油化学製品は資源の浪費であり、資源はいつか枯渇すると分かっていました。そこでテトラパック社は、「地球を守る」というコンセプトにしたがい、「森林をコントロールできれば無限である」という哲学の元、紙を製品として導入したのです。また、物を大切にするという観点から、「再生」という点のみならず、すべての工程にかかるトータルエネルギーという点から見なければならないと強調しました。そこから生まれたのが「アセプティックフィリング」つまり無菌充填です。これは、今では日本でも見られるようになりましたが、輸送や冷蔵にかかるエネルギーを抑えるためのもので、この技術によって常温輸送が可能となったのです。
 余談ですが、スウェーデンのある製紙会社では、大量消費の時代が幕を開けようとしていた時すでに、植林を行うことが必要であると考え始めていたそうです。
 地球保護や自然・環境との共存の取り組みが何十年も前からはじめられていた。そしてその取り組みを身近に見ることができたのは、私にとって大きな財産となっています。

政治の世界へ
 都議会議員になるきっかけは突然やってきました。会社に勤めていた頃から、奉仕活動で多くの方々に献身できる人生を歩むことができたらと考えていました。ある時、公明党の方から、政治の場こそ、そうした理想を実現させる場ではないかとのお誘いを受け、政治の世界に飛び込んでみようと決意しました。具体的にやりたいことはそれまでの体験から「環境」と「福祉」でした。なぜ政治に自分自身が関わろうとしたのか?
 結論として言えるのは、自らの思いを実現させる一つの形としてたまたま選んだ仕事だと思います。 今ではとてもいい選択をし、とても充実した仕事をさせていただいております。

私のライフワーク「福祉」
 私がライフワークとして取り組んでいきたいテーマは2つ。「福祉」と「教育」です。昨今、高齢社会の未来や学校教育の崩壊を憂う声があふれ、この2つの問題は21世紀を迎える日本に暗い影を投げかけています。私自身もその重要さを理解しているつもりです。
 さて、まず「福祉」ですが、私が福祉に対し関心を持ったのは、理由があります。議員になる前、私は北欧での生活を通 して、福祉に関心を持っていました。北欧諸国といえば、手厚い社会保障のことを連想する方も多いのではないでしょうか?私も、みなさんと同じようなイメージを持っていました。 しかし、北欧に滞在し、大きなカルチャーショックを受けたのです。
 日常生活をしてみないと分からないことですが、北欧では高齢者や身障者の方が、驚くほど自然に他の人と同じ暮らしをしています。同じように電車に乗り、買い物をし、生活ができるのです。それはただ政府の保護が手厚いというだけでなく、北欧の人たちも「そんなことは当たり前」という意識を強く持っているように感じられました。
 日本では全く考えられないことでした。私も身近に身障者の方の知り合いがいらっしゃいますが、恐らく北欧の人よりもはるかに不便さを感じられていると思います。
 「この差は一体何なのだろう。何とかならないものか。」
 このような体験を通じ、私は福祉に強い関心を持つようになったのです。

やむにやまれぬ思いから
 忘れ得ぬ思い出があります。都議会で盲聾者の問題を取り上げた時のことです。ある日、一人の盲聾者の方から保障についての相談を受けました。何とかしなければと思い、各所に掛け合い、議会で可決し、結果 、保障がいくようになりました。
 後で知ったことですが、この時のエピソードが数年前『週刊少年マガジン』にも紹介されたと聞き、嬉しく思っています。
 福祉に関心があるというと、「また、きれい事を言って」とおっしゃる方もいらっしゃいます。議員という職業は、当然のことながら、皆さまのご支援がなければなれません。たしかに、東京にいる盲聾者の方はそんなに多くはないでしょう。先程の話だと、票ということを考えれば、入る票は1票だけかもしれません。
 この例のように、社会的弱者の保護といった問題は、いわゆる見返りを期待していては取り組めないのです。私に関して言えば、議員になる前に感じた福祉に対する強烈な問題意識、何とかしなければというやむにやまれぬ 思いがあるので、取り組もうと思うのです。

皆さん 考えてみてください
 皆さん、考えてみてください。
 議員になってからの経験を通して、私は身障者の方に対する考えが少し変わりました。確かに、何とか力になりたいという気持ちは前からあったのですが、今はそれだけではありません。
 もちろん後天的な障害の方もいらっしゃいますが、人間は一定の確率で、必ず障害を持った方が生まれてきます。それは、残念ながら仕方のないことです。
 しかし、そもそも私が「何とか力になりたい」と感じたのも、身障者の方がこの世界に生を受け、生きていらっしゃるからこそではないのか、と思ったのです。そうでなければ、私が「人を助けたい」と強く思えたのかどうか、分かりません。
 私たちは障害を持った方を通して、他人を思いやる気持ち、助けようという優しさを育むことができます。そう考えると、全ての人に、その人にしかない個性、役割といったものがあり、それぞれがかけがえのない存在なのではないかと思うのです。
 みなさんはどう思いますか。考えてみてください。

「人を創る社会へ」声を聞くことから
 今、日本社会が抱えている最大の問題は何でしょうか? 不況のため経済的に苦しむ人、いわれなき差別 を被っている人もいる一方で、経済的、物質的には豊かでありながら、心の貧しい人、生きる意味や目的を見失ってしまっている人が少なくないことに、目を向けぬ わけにはいかないと感じています。
 こうした問題に対して、一都議会議員に一体何ができるのか。政治が関わることなどできないではないか、と考える方もいらっしゃるかとは思いますが、私なりの挑戦=「人を創る社会へ」の挑戦を開始いたしました。今回は、そうした教育にかける思いをお伝えいたします。
 現在私は、地域の教育関係者や父母の方とともに勉強会をもっており、意欲ある方々のおかげで、真剣かつ有意義な議論を毎回させていただいております。
 そうした中で感じるのは、教育とは、知識を与えることではなく、その人が一生を過ごしていく上で生き方の中心軸をなす価値観、世界観を養うものであるということです。そしてその意味で、学校教育は「教育」全体のほんの一部であり、むしろ社会全体が関わってこそ成り立つものではないかと思うのです。


「人を創る社会へ」傍観者とならず
 スウェーデンでの発見なのですが、スウェーデンでは学校のクラスは25人以下。学校の自治に、父母や教職員と同等の立場で生徒の代表が参加して、行事の日程や授業のありかたまでも決めているそうです。これは民主主義というものを肌身で感じてもらうためなのです。 団塊の世代として生まれ育った私の教育環境は、かなり違っておりました。もしスウェーデンのような環境で育っていたならば、多分違った人間になっていたでしょうね。
 もちろん日本の教育が悪でスウェーデンが善だということではありません。しかし、現代を生きる一人の人間として、子どもたちにとって最良の教育環境とは何かと問わずにはおれません。小中学生のお子さんを持つご父母の方々のお話をうかがい、いじめという現象がいかにごく身近で広範に生じているか、そしてそれが父母の方々の心を悩ませているかということを痛感するからです。 私自身、教育に関しては素人であり、何か結論じみたことは言えません。ただ断言できるのは、教育の荒廃の元凶を追求して、「学校か家庭か」と問うような議論は不毛であるということです。 子をもつ親の慈愛は今も変わらず深いですし、教師の方々にしても近年急に力量 が落ちたとは思えません。多くの方が力を尽くしていじめ等の問題に対処していることは間違いありません。要は、小手先でどこかの誰かに任せるのではなく、社会全体が子どもたちの教育に責任を感じて、「人を創る社会」へと転換していくことこそ、今求められているのだと思います。
  より具体的にいえば、他者と支え合い、協力して生きている範を親が示し、子どもがそれを間近に目にして憧れや共感を抱いてもらうことが第一歩ではないかと考えます。そのための制度を現在議論しています。私は傍観者とならず、挑戦を続けたいと思います。


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